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うつせみ 
 
 
 
 
 
 
 
ゆっくりと痩せ衰えていく身体が、限界だと告げている。 
狭い部屋の中、敷かれたままの布団に包まる細い少年は、一日の内のほとんどを寝て過ごすようになった。 
声も表情もなく、じっと動かず、ぼんやりと時間をもてあまし続けていた。 
 
「とら、あのなぁ」 
 
長い髪の毛をだらしなく引きずりながら、大きな目を金色の妖怪に向ける。 
妖怪は特に何も言わずに、続きを促した。 
 
「オレ・・・どうしたら元に戻れるか、考えたんだけどよぉ」 
「止めとけ、無駄だ」 
 
ソレが言い終わる前に、冷たく言い放つ。 
すると見る間に表情を雲らせて、しゅんと項垂れる。 
ソイツはうしおより、ずっと子供のような仕草で、もじもじと下を向いたまま、まだ何かを言いたそうにしていた。 
いつの日からか「うしお」が何も発しなくなって、コイツはどんどんとニンゲンらしくなって、何だかんだと大騒ぎしながら、元に戻る方法とやらを実行し続けた。 
やれ、くっついていればそのうち戻ると言い出せば、嫌がるうしおに一日中抱きついていたし、 同じ行動を同時に行えば戻る、と訳の解からない理論でうしおを引きずりまわしては殴られていた。 
 
「でも・・・でもよう」 
 
もじもじと手を動かしながら、次第に距離を詰めてくる。 
妖怪は、コレがあまり好きではなかった。 
確かにうしおと同じ顔をして、同じ声をして、少し幼いが、同じような行動を取る。 
しかし、根本的に違う。 
何かが、違う。 
 
「鬱陶しいぞ、黙れ」 
 
冷たく突き放すと、ソイツはようやく口を閉ざし、何かを決意したように、勢いよく立ち上がった。 
嫌な予感がする。 
妖怪はとっさに止めようとしたが、身のこなしだけはいいソイツを、捕まえることは出来なかった。 
長い髪をなびかせて、走り去っていく。 
アレの向かう先は、一つしかない。 
 
「・・・チッ、いい加減もう止めてやらねーぞ」 
 
うしおの部屋の扉が、勢いよく開く音を耳聡く聞きつけながら、妖怪はごろんとその場に寝転んだ。 
 
 
 
 
うしおの部屋は、いつも暗い。 
 
顔を覗き込めば、大きな目がこちらを向いた。 
起きていたようだ。 
 
「なぁ、うしお」 
 
枕元に腰を下ろして、出来るだけ顔を近づけて、ゆっくりと発音する。 
表情こそないが、目は相変わらず不機嫌だと語っていた。 
 
「オレ、考えたんだけどよぅ」 
 
さらりと長い髪がうしおの頬に落ちた。 
緩慢な動作でそれを払い除ける腕は、はじめて見たときよりずっと、細くなってしまったような気がする。 
ここに存在するだけで、奪い続ける。 
この少年から、全てを奪って、奪いつくして、自分は完全になるのだろう。 
この少年の命が尽きたとき、うしおが消えたとき、自分が次のうしおになる。 
多分、きっとそうなる。 
 
「オレとお前は、どっちかしか、残れねぇんだと思うんだ」 
 
囁くような声を出して、もう少し、顔を近づける。 
最近は視力も弱まっているらしく、うしおがその距離に気付いた様子はなかった。 
ゆっくりと、ゆっくりと、やがて、息がかかるほどの距離で、ようやくうしおがびくりと身体を強張らせた。 
 
「このままだとオレは、お前の全部を食い尽くちまう」 
 
抵抗しようとした腕を、押さえつけた。 
口を動かして、何かを叫ぼうとしているが、もう呻き声も出ない。 
布団をはいで、馬乗りになった。 
真正面から目を見る。 
大きな両目は、どんなに奪われようと、いつまでも深く澄んだままだった。 
ふ、と頬が緩んだ。 
そこに浮かんだ笑顔は、ひどく穏やかだった。 
 
「オレ、お前が好きだ」 
 
ぱたりと、涙が落ちる。 
乾いたうしおの頬を伝い、まるでうしおが泣いているようだった。 
 
「その目が、大好きだ」 
 
涙に声が震えた。 
じっとこちらを見上げてくる顔に、表情はいっさいない。 
ただ、瞬きすらせずに、自分を眺めている。 
反らされないのが、嬉しかった。 
 
「うしお、オレ、元に戻る方法考えた」 
 
腕を押さえつけたまま、額を首筋に埋めてみた。 
どくどくと、うしおの心臓の音が聞こえる。 
安心した。 
愛しい。 
この体温が、音が、身体が、愛しい。 
 
「お前がオレを、殺せばいい」 
 
 
 
 
ココとソコがずれた、あの日。 
種が芽を、吹いていた。 
 
 
 
 
「おっせーんだよ、オメーはよ!」 
 
ようやく掴んだ手がかりを持って駆けつけてやったというのに、相変わらずその魔物は横柄な態度で悪態をついてきた。 
 
「んだよ、とら〜っ!せっかく協力してやってんのに、感謝の言葉もなしかよ!」 
「ケッ!なぁにが感謝だ、イズナ。このままうしおがくたばりゃ、どうせオメー泣き喚くんだろ。教えてやっただけあり難いと思いやがれ!」 
 
不機嫌な顔のまま言い返してくる相手に、長い両耳を苛々と尖らせながら、小さな妖怪はあぁ〜ッもう!と地団駄を踏んだ。 
ここで言い争っているだけ無駄なことは理解しているが、どうにもコイツの態度は気に食わない。 
こんなになるまで放っておいた神経もそうだし、大妖怪などと言い張るくせに事態の深刻さに気付いていなかったことも、頭にくる。 
 
「で、解かったのかよ」 
「長に聞いたら一発だったよ!こりゃ妖怪の仕業だ!」 
 
身体の割りに大きな尻尾をぶんぶん振り回しながら、声高々に宣言する。 
金色の妖怪は鼻にしわを寄せ、そんなこたぁ知っとるわ!と先を急かした。 
 
「夢を具現化する妖怪でよ、何でも本人から色んなものを奪い取って、やがてソイツと入れ替わるんだとよ」 
「あぁ?何だそりゃ?意味が解からんぞ。そんなことして何の得になるんでぇ?」 
 
顔をしかめて金色の妖怪が言う。 
小さな手を顎にあてて、薄い黄緑色の妖怪は考え込むような仕草をして見せた。 
 
「知らねぇ。妖怪ッつっても、コイツは俺らより、木とか花とか・・・、植物に近い存在だからな。価値観が違うんじゃねーか?」 
「はん、くだらねぇ。で、どうすりゃいいんだよ」 
 
大きな手を払うようにして話を聞き流し、本題に急ぐ。 
自分から振ってきたくせに、と若干不機嫌になりながらも、小さな妖怪は答えた。 
 
「簡単だ。本体であるニンゲンが、悪夢を殺しちまえばいいのよ」 
 
 
 
 
きっと、良心を食ったのが、間違いの始まりだった。 
せっかく芽を吹いて、順調に成長していたのに。 
あと少しで、完全に成れたのに。 
 
 
 
 
 
 
 
自ら種を枯らそうとするなんて。 
 
 
 
 
うつせみ1/2/3/4 
 
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