JUNK WORLD

■文



夜の繁華街を、スーツ姿のまま足早に進む。
その二三歩後を、同じような黒のスーツに身を包んだ金髪の女が付いてくる。
不意に、スーツの後ろポケットに突っ込んでいたスマートフォンが震えだし、着信を告げた。
いつの間にか、電話の向こうにいる女性の使役する白梟が、音もなく頭上を飛んでいた。

「おい、日輪。本当にこんなところに出るのかよ?」

スーツの上に羽織ったモッズコートのポケットに、片方の手を突っ込んで、その中に潜ませている数個の法輪を弄びながら、
うしおは挨拶もなしに、まるで八つ当たりのような強い口調で話しかけた。
さきほどから、幾人もの男の視線がうしおを掠めていくのが解かった。
それは明らかに不埒な欲を孕んで、一心に背後の女へと注がれている。

「ああ、間違いない。しばらく周辺に気を配り、待機していろ」

電話口から、落ち着き払った女の声が返ってくる。
うしおは思わずチッと舌打ちして、足を止めた。
後ろを歩いていた女も、それに気付いて立ち止まる。
こちらを見上げてくる女の姿は、ネオンの光る繁華街の中にあっても、よく目立った。
素っ気無いスーツの上からも、その美しい肢体が見て取れる。
白い肌と、勝気そうにつり上がった目。
極めつけの長い金髪は、それ自体がキラキラと光を放っているかのように、煌びやかだ。

「何でわざわざソレで付いて来んだよ」

今は若干自分よりも低い位置にある両目を睨みつけて、苦々しく吐き捨てる。
すると目の前の妖怪は、酷く楽しげに、にやりと口をしならせて見せた。

「オメーの反応が楽しいからに決まってんだろ。それ以外になんか、理由があるかよ?」

いくら美しい女に化けたところで、この妖怪の性根の悪さは変わらないらしい。
更にイライラしながら、うしおは遠くからこちらにねちっこい視線を投げている集団に、威嚇するように殺気を放ってやった。
ひっ、と訳も解からず青ざめて、男の群れが散っていく。
うしおに対面したまま腕を組んで立っているとらは、何が楽しいのか、先ほどからずっとニヤニヤと意地の悪い顔で笑っている。

「――――蒼月」

うしおの耳に、静かな女の声がかかった。
瞬時に表情を引き締めて、うしおは辺りの気配を探る。
斜め前方、二時の方向に、強い反応を見つけた。

「なんでぇ、ありゃ?」

うしおがそちらに目を向けると、一足先に気付いていたらしいとらが、呆れたような声を出した。
若い風貌の、男が二人。
その前に立っている、線の細い、女。

妖怪だ。

「日輪、確認した」
「無関係の者を巻き込まぬよう、細心の注意を払うように」

うしおが短く告げれば、端的な指示か返ってくる。同時に、通話が切れた。
電話を再びポケットにしまいながら、妖怪のほうへ歩き出す。
妖怪の顔はこちらからは見えないが、対面している二人組みの男のニヤ付いた表情から、おおむね察しは着いた。

男を誘惑し、自らの餌場に引きずりこんで喰らう、美しい女の姿をした妖怪。

日輪から聞かされた妖怪の特徴は、そんなところだった。
近づくうしおに気付いたらしい二人組の男は、不振そうにこちらを見、その後、揃って両目を見開いた。
その目に浮かんでいたのは、明らかな喜色であった。

「ちょっとゴメン!」

女に変化した妖怪の肩を押しのけて、二人の若者が駆け寄ってくる。
それはあっさりうしおを通り越し、背後に居たとらの前で足を止めた。
多分、美しい女の姿を取る妖怪から誘惑されて、気を大きくしていたのだろう。
二人の若者は、下心を隠しもしないだらしない表情のまま、馴れ馴れしい態度で、とらに話しかけ始める。

「ね、ね、ね、君、名前何ていうの?」
「今から暇? 俺らとカラオケでも行かない?」

息巻く二人組みに囲まれ、きょとんと目を丸くするとらを見て、うしおの中で何か黒いものが渦を巻いた。
しかし、それよりも重くどす黒い邪気が、勢いよく背後から突き刺さる。
あからさまな殺意を叩きつけられ、思わず総毛だった。

『我らの餌場を、荒すつもりか』

直接脳に響くようなその声は、高く鈴のように澄んでいて美しかったが、今は激しい怒りに彩られ、酷く濁って聞こえた。

「なんだぁ?」

妖怪に敵意を向けられ、とらがつまらなそうに顔を上げた。
妖怪の居る方角から、一気に白い霧が立ち込め、辺りを包む。
気配を感じて、うしおが振り返るが早いか、鋭い爪のようなものが、首めがけて走った。

ギャンッ

金属がぶつかり合うような音が響き渡る。
咄嗟にポケットから取り出した法輪の表面には、深く、三本の傷が刻まれていた。
支えていた指先が、ジンジンと痺れている。
辺りには既にネオンの光も、人の姿もなく、白い霧の立ち込める薄暗い沼のほとりに景色を変えていた。

「はッ、蛇か。やっぱり蛇妖にゃ、ロクなのがいねーな」

うしおとともに妖怪の餌場に引きずり込まれたとらが、胸の前で腕を組み、小馬鹿にするような笑いを吐いた。
ざわざわと白い霧が渦を巻き、その中から、同じような緑色のうろこを体に生やした蛇の妖怪が、何体も姿を現してゆく。
その数に、さすがのうしおも面食らった。
いくらなんでも、これは多すぎるだろう。
一様に同じ女の顔をした妖怪たちは、ずるずると蛇の尻尾を這わせて、うしおととらを取り囲んでいる。
その美しい顔は、どうやら擬態したものらしく、全て能面のごとく表情がない。

『この売女が』

そのうちの一つが、嘲るような言葉を吐いた。
ぴしり、と、何かが走ったような気がした。
見れば、美女に化けたとらの顔に、見たこともない表情が浮かんでいる。
引きつる口元に、とらは不自然な笑みを浮かべていた。

「・・・・・・・何だと?」

どこか震えた声音で、とらが問う。
その震えた声の調子を、どう勘違いしたのか、蛇妖たちがいっせいに笑い出した。
駄目押しに、蛇妖たちは更なる挑発を放つ。

『何だキサマ、自覚がないのか』
『男を誘うような姿をして』
『解からぬのならば、今一度言うてやろう』

『『この、雌犬めが』』

バツンッ、と今度こそ間違いなく、何かが走った。
それはパリパリと細かい電撃を放ちながら、とらの全身を覆っている。
うしおは本能的に飛びのいた。

その、次の瞬間。

「この・・・ッ、雑魚どもがァアアアアアアア!!!」

耳を劈く破裂音と、鋭い閃光が、一気に辺りを満たした。



*



激しい光に目を焼かれ、白い闇に放り出される。
数分後、ようやく視力を取り戻した視界には、見慣れた妖怪の姿があった。

「・・・・やってくれたな・・・」

いつの間にか、金色の妖怪に抱えられ、夜の空に浮かんでいた。
うしおは眼下の町の様子を目の当たりにし、苦々しく言葉を吐いた。
とらが放った一撃は、蛇妖たちの沼―――所謂『結界』を突き破り、外界にも多大な影響を及ぼしていたようだ。
まるで飴細工のごとく無残に折れ曲がった道路標識が、しゅうしゅうと嫌な音を立てて煙を上げている。
アスファルトには大きな亀裂が走り、一番手前に見えるコンビニエンスストアの、壁一面に張られていたはずのガラスは、一欠けらも残っていない。
他にも、ビルの看板や外壁が剥がれ落ち、瓦礫と化したコンクリート片が、あちこちに散らばっていた。
目視できる限りで、ではあるが、幸いなことに怪我人は出ていないようだ。
ある意味、奇跡だ。

「ふんっ、このわしを怒らせて、ただで済むかよ」

うしおの身体を支える、今は金色の獣の姿に戻ったとらが、鼻先に皺を寄せて吐き捨てる。
あれだけブチ切れておきながらも、うしおを拾い上げるだけの理性は保ってくれていたようである。
蛇妖もろとも焼き払われなかったことには、感謝すべきだろうか。

「まぁ、これに懲りて、オメーは少し自重するんだな」

言いながら、安全のために、うしおはとらの首に腕を巻きつけた。
この気まぐれな妖怪のことだ。
いつ機嫌を損ねて、うしおを遥か下の地面に投げ捨てるか解からない。

「なんだテメェ。わしに説教垂れる気か?」
「ちげーよ」

案の定、更に不機嫌そうな顔をして、こちらを睨みつけてくるとらに、うしおは慌てて首を振る。
ここで下手なことを言えば、本気で叩き落されかねない。
瞬時にうしおは頭を巡らせて、何か手はないかと思案する。
それから、大きな耳に口を近づけて、殊更甘い声で呟いた。

「あんなカッコしなくても、お前は十分可愛いぜ?」

にやりと、挑発的に笑ってやる。
しかし目の前の獣は、うしおの思惑からは大きく外れ、あきれ返ったような表情を浮かべると、あからさまに気持ち悪そうな声音で、言った。

「何だ? 今ので頭ヤっちまったか?
うしお、お前・・・これ以上阿呆になったら、目も当てられねーぞ」

とらのあまりの返答に、頭が真っ白になる。
とりあえずうしおは、身の危険など忘れ去って、全力でとらの顔面を殴り飛ばした。



*



あの後、町の被害状況を知った日輪に本山に呼び出され、真夜中、五時間にわたって説教を喰らった。
当然、正座である。
東の空が白み始め、ようやく開放された頃には、両足の機能はすっかり失われていた。
徹夜など既に慣れたものだが、あのよく通る破壊力抜群の声で以って延々と叱りつけられるのは、なかなか精神的にクるものがある。
とらには袖にされ、日の輪には散々罵られて、もはやうしおの心はズタズタである。
精根尽き果て、喫煙スペースの長椅子に沈みこんでいると、頭の上から嫌に浮かれた声が降ってきた。

「おはよう、諸君!」

顔を上げれば、同期入社の男性社員が立っている。
同期は、見るからに幸せそうな空気をばら撒きながら、勢いよく隣に腰を下ろし、ガシッと肩を抱いてきた。

「昨日さぁ〜、受付の佳代ちゃんにィ、お前カノジョ居るって話したらぁーなんか凹んじゃってぇ〜。
なんかっ、慰めてあげてるうちに? 打ち解けちゃって? メルアドゲット? みたいなっ」

どうにも癇に障る口調で、ニヤニヤ笑いながら一気にまくし立ててくる。
無意識に、うしおは深いため息をついていた。
心の底から、どうでもいい。

「最低ね、アンタ・・・『受付の斉藤さん』はどうしたのよ?」

うしおの斜め前に設置されている、スタンドタイプの灰皿に吸殻を押し付けて、同僚の女性社員が呆れたような顔をした。
同期は、意味もなく二つ折りの携帯をパカパカしながら、大声を出した。

「馬鹿なの!? 受付の佳代ちゃんだぞ!? 斉藤さんは美人だけど、佳代ちゃんの方が可愛いだろ!! 可愛いは正義だろ!」
「本当に最低ね。だからアンタ、モテないのよ」
「ははん、なんとでも言いたまえ! お前こそ、カノジョのいる男なんかすっぱり諦めて、さっさと新しい恋に踏み出すべきだと思うがねっ?」

携帯を構え、奇妙な決めポーズをとってはしゃぐ同期が、何故か勝ち誇ったような口調で、高らかに言い放った。
その言葉を受けた瞬間、女性社員を取り巻いていた空気が、突然冷気を放ち始める。
びくっと直感的に何かを感じ取り、同期が口を閉ざすと、彼女は少し、唇に笑みを浮かべて見せた。
「別に結婚してるわけじゃあるまいし。恋人なんて、所詮口約束のようなものでしょ? ねぇ、蒼月?」

突然話題を振られ、うしおが顔を跳ね上げる。
何やら含みを持たせるようなことを呟いて、どこかほの暗い目でこちらを見ている美人に、胆の冷える思いがした。

「え・・・? 何? どういうこと?」

訳が解からず、上ずった声でうしおが尋ねると、彼女はすぐに答えず、シガレットケースから二本目の煙草を取り出した。
そして優雅に火をつけて、一息吸い込んでから、彼女はにっこりと唇を微笑みの形にしならせた。

「別に? 特に深い意味はないけど?」

何か冷たいものが、背中を舐めたような気がした。
無意識に身を引きながら、うしおが顔を引きつらせる。



――――オンナって、怖い。



凍りついた空気の中、手にした煙草が灰になるのにも気付かぬ様子で、男はそんなことを考えていた。








2012/03/15_うしおととら(十年後・大妖怪と住む日常。/2、オンナに関して)

素直にモブ(同僚の二人)に名前をつけてしまった方が、読みやすかったかな。
と、今更思うわけですけれども。

とらはうしお以外の人間に化ける場合は、どう見てもやくざのオッサンか、エロイ感じの美人になると思います。

十年後ともなると、うしおも右側から左側に異動するくらいの男気を見せ始(ry

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