JUNK WORLD

■文





十年後・大妖怪と住む日常。

2、オンナに関して






廊下の奥に隔離された喫煙スペースの壁は、煙草のヤニで見る影もなく黄ばんでしまっていた。

喫煙室、と銘打たれたお粗末なパーテーションで切られただけのそこに、一台しか設置されていない吸煙機に群がるようにして、幾人かの男性社員が煙草をふかしている。
同じく、空気清浄機の回りも、既に人でいっぱいだ。
仕方なく窓際の長椅子に腰を下ろして、男は一本煙草を咥えた。

吸煙機のそばに居ようが、清浄機のそばに居ようが、どちらにせよ匂いは付くのだから、仕方ない。

心の中で、不機嫌そうに顔をしかめる同居人を思い浮かべ、いい訳をしながら、慣れた手つきで火をつけた。

「うしお〜!」

一服もしない内に、賑やかな声がかかる。
顔を上げると、同期入社の男性社員が、何やら疲れ切った顔をして立っていた。

「よ、久しぶり。どうよ、人事?」
「もー最悪! 俺やっぱ人事向いてねぇ! 開発戻りてぇ!!」

男が気さくに話しかけると、目の前に立つ男性社員は一気に面貌を崩して泣きついてきた。
彼は二ヶ月ほど前に、男の居た開発部から、別の部署へ異動になっている。
辞令が出たときは、それなりに意気揚々としていたのだが。

「何だよ、ようやく部長と離れられるって、異動出たとき喜んでたじゃねーか」
「ちげーよ、そこじゃねーよ! 最悪だぞ、ウチの部署!」

隣に腰を下ろし、ちゃっかり男の煙草から一本拝借し、厚かましいついでに火を求めてくる。
男は呆れながらも、ライターの火を差し出した。
心底美味そうに一息吸い込んで、だはぁ〜と、一気に煙を吐き出してから、同期はおどけた態度で、肩にすがり付いてきた。
その大げさな仕草に、思わず苦笑する。

「女子皆無だぞ! 信じられるか!? 女子一人もいねーの!」
「そりゃ、ごしゅーしょーさまだなー」

全く彼らしい台詞に、更に笑いがこみ上げる。
笑いながらそう返すと、同期は眉を八の字に落としたまま、いきなり話題を変えてきた。

「そんで今度、合コンすることになったから、お前も来るよな?」
「はっ!?」

唐突過ぎる転換に追いつけず、妙な声が出てしまった。
同期はこちらの都合などお構いなしに、携帯を取り出して日時の確認を始めようとしている。
男は慌てて、話を遮った。

「ちょっと待て! まだ行くなんて言ってねぇぞ!」
「馬鹿なの!? 受付の佳代ちゃんがお前連れてきたら、会開いてくれるって言ってんの!! 断る理由とかねーから!!
受付嬢だぞ、受付嬢!! 斉藤さんも来るんだぞ!」
「いや、知らねーし! 誰だよそいつら!?」

男が言えば、それ以上の大声で、同期が目をむいて怒鳴りつけてくる。
どこまでもひたむきで、必死すぎる様子は痛いほど伝わってきたが、こちらにとて都合というものがある。

「駄目よ。蒼月は彼女が居るんだから」

そこに、聞き慣れた女性の声が割り込んできた。
見上げれば、細身のパンツスーツに身を包んだ、気の強そうな美人が立っている。
二人の同期であり、男の同僚でもある彼女は、形のいい唇から、ふーっと細く煙を吐いた。
隣に座る、同期の顔面に向けて。
しかし、煙の直撃を受け、勢いよく顔をしかめた彼は、女性社員に怒りをぶつけるより先に、こちらに鋭い視線を向けてきた。

「どういうことだよ、うしお!! 聞いてねーぞ!!」

いや、言ってないし。

「つか、彼女って誰のことだよ?」

グイグイ迫ってくる同期の顔をグイグイ押し戻しながら、同僚の女性に尋ねれば、彼女は小さな頭を横に倒して、にっこりと笑顔を浮かべた。

「あら、しらばっくれるの? こないだ蒼月ン家で家飲みしたとき、すれ違いで帰ってきたわよ。
同棲までしといて彼女じゃないって、それこそどういうことなのかしら」
「・・・・家、飲み? 」

微かに男の表情が引きつる。
確かに断りきれず、何人かの同僚を招いて自宅マンションで飲み会を開いたことは、記憶にあるが。

「嘘だろ!? 妄想じゃないの!? うしおに彼女!?」
「ホントよ。金髪の美人」
「金髪!? まさかの外人!? 嘘だろ!?」

何故か楽しそうに笑いながら言う女性社員の言葉を聞いて、男は今度こそ顔をしかめ、痛む頭を抱え込んだ。
嫌な予感というのは、どうしてこう、的中してしまうのか。




――――男の部屋には、一体の妖怪が棲みついている。




*




今夜の番組は、なかなか面白い。
ベッドと小さなテーブルの間に、身体を挟まれるようにして座り、ワンルームにはいささか不釣合いな大型テレビを食い入るように眺めていると、
騒がしい音を立てて、この部屋の主人である若い男が帰ってきた。
同時に、いけ好かない煙の匂いが鼻を突く。
思いっきり顔をしかめて睨みつけてやると、それ以上の不機嫌顔で、男がこちらを睨んでいた。

「てめぇ、とらっ!! またそんなカッコしやがって、止めろって言ってんだろ!!」

走って帰ってきたのか、男の呼吸が若干荒い。
妖怪は男の怒りの矛先に、意味がわからず首をかしげた。さらりと長い金髪が肩を滑り落ちていく。
それは艶やかに蛍光灯の光を反射し、惜しげもなく晒された白い太ももをなでた。
男がぐっと息を詰める気配がした。
それから視線をそらして、押し殺したような低い声を出す。

「とりあえず、服を着ろ」
「あぁ? 着とるだろーが」

男の言い草に若干気分を害して、細く変化した指先で、ワイシャツの襟を摘んでみせる。
がばっと振り向き、男は叫んだ。

「それは着てる内に入らねーの!!」

男の剣幕に、ちっと舌を鳴らして、妖怪は眉間に深い皺を刻んだ。
いい加減、あれやこれやと煩い男だ。散々文句を言うから、嫌々でも布を纏ってやっていると言うのに、これ以上何が気に入らないのか。
妖怪は一応、窓ガラスに映った己の姿を点検してみた。
夜の闇に染められ、鏡のように室内を反射する窓ガラスには、白い肌に、鋭い双眸を携えた人間の女が映し出されている。
豊満な胸と、悩ましげにくびれた腰の先には、形のいい尻と、男のワイシャツの裾からはみ出た、柔らかそうな太ももが続いている。
なかなか上手く形作れた、と自分なりには満足していたのだが、どこが気に入らないと言うのだろう。
意味が解からず再び首をかしげて男を見上げると、既に男は怒りを静め、草臥れきった様子で深いため息をついていた。

「頼むから・・・そういうカッコで表に出んのだけは、止めてくれよな」

言いながら、妖怪の喰い散らかしたつまみの袋を片付け始める。
妖怪は、ふん、と高飛車に鼻を鳴らすと、勢いよく男から顔を逸らした。

「馬鹿にすんじゃねーぞ! 人間のジョーシキくらい知ってらぁ」

表に出るときは、洋服ぐらい着ているし。靴だって履いている。
だだし、身に布を纏うのが嫌いなので、必然的に露出は高くなるのだが、どうもこの男はそれを気に入らない様子なので、そこにはあえて触れないで置く。

「それと、俺のダチにあんま接触すんな。妙なウワサ立てられちゃたまんねーからな」

男が嫌に真剣な面持ちで釘を刺してくる。妖怪は少し面白くなってきた。
今は艶やかな美女に化けた妖怪は、その唇に蠱惑的な笑みを浮かべ、挑発するように男に顔を近づける。

「何だうしお、ヤキモチか?」
「お前・・・、何でそんな妙なところで、妙に前向きなんだよ?」
「―――はッ、確かにわしほどの大妖怪が取り憑くにしちゃぁ、オメーは絶望的に足りてねーからな」

そこで一旦区切り、男の意識がこちらに向くのを待って、妖怪は言葉を引き結んだ。

「男としての魅力、ってヤツがな」

むっと男の意志の強そうな眉が不機嫌そうにしかめられる。
妖怪は満足そうに、けけけ、と絵に描いたように邪悪な顔で、男を嘲笑してやった。

「・・・襲うぞ」

男の吐き出した地を這うような低音には、少しそら寒いものを感じたが、聞き流すことにした。
全く、単純な男だ。すぐ挑発に乗ってくる。
身体は成長しても、頭の程度は変わらないものだな、と妖怪は少し残念な気分になった。
だいたい、女の形に化けるのにだって、深い意味などないのだ。
元の姿では、このマンションとか言う小屋は狭すぎる。かと言って、縮んだ姿では、手足が短すぎて、細かい作業がしづらい。
それならば、と、人間用に作られた小屋にあわせて、人間に化けてみた。
男でなく女を選んだのも、男より女のほうが小柄だから、という至極単純な理由だ。
この男が、目くじらを立てる理由が解からない。
それにしても、と男の洋服から漂ってくる煙の匂いに、つい最近、ここに訪れていた数人のことを思い出し、自然と眉間に皺がよった。

「オメーこないだ家に連れ込んだ、あの気の強そうな女。もう構うんじゃねーぞ」
「・・・誰のことだよ」

不機嫌を隠しもせずに言うと、男は不可解そうな目をこちらに向けてきた。

「ふんっ、気に入らねぇ。このわしにガンくれやがった。大方、テメーに気でもあるんだろ」

妖怪が吐き捨てると、途端に男の表情が変わった。

「何だとら、焼もちか?」

などと嬉しそうに言う弛んだ顔があまりに不快だったので、妖怪は容赦なく、男の顔面をグーで殴りつけておいた。



この間抜け面の男は、蒼月うしおと言う。
一度は死を遂げた金髪の妖怪、とらに『未練』を抱かせ、再び現世に立ち還らせた、張本人である。









2012/03/15_うしおととら(十年後・大妖怪と住む日常。/2、オンナに関して)

ちょっと長いので二つに分けます。

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