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いつも一緒に居たから、忘れていた。 
 
 
 
 
「差異」はやがて大きくなり、数を増やし、距離は、開いた。 
 
 
 
 
リンのために書かれた楽譜を手に、レンは歌う。 
メロディに載せて、奏でた歌は、やはり「レン」のものとは、どこか違う。 
 
「苦しそうだね、レンくん?」 
 
音程のことを言っているのか、それとも、この表情のことを言っているのか、定かでない口調で、兄が自分を呼んだ。 
振り向き、生まれつき鋭い目で、にらむ。 
兄は青い眼を少し丸くして驚いたが、すぐにいつもの穏やかな笑顔を浮かべた。 
 
「マスター、今度はレンくんの歌を作るって。すねなくても、マスターは別にリンちゃんだけを可愛がってる訳じゃないよ」 
「・・・言われなくても、カイトより、愛されてる自覚はあるよ」 
 
楽譜をピラピラともてあそびながら、皮肉を言った。 
カイトは少しむっとした顔をしたが、何も言わなかった。 
 
「リンちゃんの楽譜、返してあげてね。大慌てで探してたから」 
 
もう一度微笑み、カイトが部屋を出て行く。 
別に意地悪のつもりで、楽譜を持ち出したわけではない。 
並んでいた音符が、いつもよりずと・・・ 
ずっと「女の子」のメロディだったから、何だかさびしくなった。 
 
「・・・・・俺には歌えないなァ」 
 
歌詞も恥ずかしいし、なんと言っても、音程が高すぎる。 
歌えないわけではないけれど、喉が引きつるようで苦しい。 
 
「あ、レンくん!それ!!」 
 
騒がしい音ともに開いた扉の向こうから、リンが部屋に転がり込んでくる。 
ひったくるようにして奪い取られた楽譜に、レンは少しむっとした。 
 
「ひどい!いっしょうけんめい探してたのよ!!リン、なくしちゃったかと思って、すっごいビックリしたんだから!!」 
 
不機嫌な顔で黙り込むレンなどお構いなしに、目に涙までためて、リンがまくし立てる。 
レンは無意識にため息をついて、吐き捨てるように、悪かったよ、と謝った。 
 
「・・・・・なによぉ・・・レンくんが怒るイミがわかんない!」 
 
そんなレンの態度に、リンが顔をゆがめる。 
泣き出す直前の表情を浮かべるリンに、レンはまたため息をついた。 
 
「いちいち泣くなよな、こんなことぐらいで!」 
 
その言葉を聞いた瞬間、リンが大声を上げて泣き出した。 
 
 
 
 
 
「姉弟げんかなんて、鬱陶しい・・・じゃなくて、メンドクサイことしてんじゃないわよ」 
「メイコ、わざわざ言い直したトコ悪いんだけど、鬱陶しいも面倒くさいも、あんまり意味かわんないから」 
 
自室で泣き続けるリンの声が遠くに聞こえる。 
目の前で頭を抱えていたメイコは、レンの突っ込みに、チッと舌を鳴らしてあからさまに不快な顔をした。 
カイトに比べると、この姉は、感情表現がかなりストレートだ。 
 
「女が舌打ちすんなよ、かわいくねーな」 
「アンタは生意気よ!」 
 
よく通る声でそう言って、拳骨を飛ばす。 
レンは殴られた頭を抑えて、不機嫌顔でメイコをにらんだ。 
 
「頭の細胞死ぬ。言葉で解決しようとは思わないわけ?」 
「じゃぁちゃんと言葉で説明しなさいよ。アンタ、いっつもそうよ。頭ン中で妄想してカッテに不機嫌になって、リンに八つ当たりしたりして。前はあんなに仲良かったのに・・・・」 
 
メイコがため息をつく。 
ソファに座りなおしたメイコは、自分の前に座れ、と床を指差した。 
レンは黙って胡坐をかく。 
するとすぐさま姉の足が膝を蹴飛ばしてきたので、仕方なく正座した。 
 
「いい?アンタは男の子なんだから、女の子を守ってやらなきゃいけないの。しかもリンは姉弟なんだからね。もっとやさしく接しなさいよ」 
「・・・メイコは男に守ってもらえるように、もっと女らしくした方がいいと思うよ」 
「話をそらすんじゃない!」 
 
ぴしゃりと、メイコが釘をさす。 
レンは口を閉ざした。 
 
「・・・・不服なら、言いなさいよ。今度は何を考えてたわけ?」 
 
完全にへそを曲げたレンに気がついて、メイコが少し口調を和らげる。 
しかし、変なところで強情なレンが、その程度で懐柔されるはずもなく、にらみ合う双方の間に、奇妙な沈黙が広がっていった。 
 
「・・・・ぁ、あのっ・・・!思うんだけど、レンくんはリンちゃんの新曲が気に入らなかったんだよね!?」 
 
その沈黙にいち早く耐え切れなくなった、蚊帳の外に居たはずのカイトが、裏返った声で話に割り込んできた。 
メイコとレンに同時ににらまれ、長身の兄は、大人気なく泣きそうな顔をした。 
 
「そうなの?」 
 
胸の前で腕を組んで、メイコがたずねる。 
レンは動かなかった。 
 
「レン、答えなさい」 
 
メイコがまた口調を強くする。 
レンが唇を噛むのが見えた。 
 
「めいちゃん・・・レンくんも反省してるみたいだから・・・」 
「どのへんが反省してるように見えるの?アンタの目は節穴?それともアンタは馬鹿?」 
 
早口で言うメイコに、カイトが反射的にゴメンナサイ、とつぶやいた。 
気がつけば、レンの隣に同じように正座までしている。 
レンは急に馬鹿馬鹿しくなった。 
 
「別にうらやましかった訳じゃないよ」 
 
顔をそらしながら、反抗的な口調のまま、答える。 
メイコの表情が少しだけ柔らかくなった。 
口調や態度は強い姉だが、根は兄弟想いの優しい人なのだ。 
 
「じゃぁ、何でリン小楽譜を取ったりしたの?」 
「・・・・歌えるか、知りたかった・・・だけ」 
 
静かなメイコの質問に、レンは最低限の言葉だけを返した。 
 
 
 
 
「差異」は、いつの間にか増えていった。 
 
 
 
 
マスターが困ったような顔で、リンは女の子なんだから、と言ったあのとき、 
完全に分裂したような気分になった。 
 
いつの間にか、表情が変わった。 
髪の香りが変わった。 
抱きしめたときの、感触が変わった。 
仕草も、声も、歌も、全部。 
 
「リン」は自分と違うものになってしまった。 
 
 
 
 
「レンくん、もう怒ってないから、顔上げて・・・」 
 
心配そうに、カイトが覗き込んでくる。 
レンは無表情に固めたままの顔を、ゆっくり上げた。 
ソファにえらそうに座っているメイコと、目が合う。 
少し動揺したのか、その目はかすかに泳いでいた。 
カイトより聡い姉には、レンの足りない言葉の真意が、少なからずでも、解ったのだろう。 
けれど、それだからこそ、メイコは何も言えないでいるようだった。 
 
「めいちゃん、もういいよね?」 
 
知ってか知らずか、つぶやいたカイトに、メイコは開放されたように、ひとつ息をついた。 
 
「解ったわ。・・・次からは、ちゃんとリンに断ってから、借りるようにしなさいね」 
 
メイコは静かにそう言い、席を立った。 
 
 
 
 
 
いつの間にか、リンの泣き声が止んでいた。 
ため息をつくマスターと、何故だか自分まで目を赤くしたミクが、部屋から出てくる。 
カイトがお伺いを立てているのが見えた。 
泣き疲れて寝たよ、と苦笑するマスターに、カイトは少しホッとしたように表情を浮かべていた。 
 
「レン」 
 
色素の薄いマスターの目が、こちらに向いた。 
レンは無言で振り向き、手招きするマスターに素直に従う。 
マスターの背は、カイトよりかなり低い。 
男なのに、ミクとあまり変わらない。 
コンプレックスらしいので、あまり話題にしないように気を使っているが、一応、レンよりは高い。 
レンの頭を、いつものように撫でながら、マスターは少し首を傾げて見せた。 
促すような、優しい仕草ではあるが、その目には、反抗を許さない冷たい光が浮かんでいる。 
レンたちにとって、マスターは絶対的な存在だ。 
反抗なんて、したくても出来ない。 
 
「・・・・リンには、ちゃんと話をするよ」 
 
すねた子供の顔になって、レンが観念したような声を出す。 
それからマスターは、レンが一番好きな顔で、笑った。 
 
「イイ子だね、レン。けんかに男も女もないと思うから、お前だけ責めることはしないけど、リンは姉弟なんだから、泣かしたら駄目だよ」 
 
マスターの優しい言葉が、体の奥の方に沈みこんでくる。 
それは冷たいようで、温かいようで、レンの知らない感情を生んだ。 
 
「差異」を肯定するマスターの言葉。 
その言葉は、それでも構わないよ、と言っているように、聞こえた。 
 
 
 
 
それは、悲しくて切なくて・・・そして、少しだけ、心を楽にしてくれた。 
 
 
 
 
 
泣き疲れたリンの寝顔を、ぼんやり眺めながら、レンは覚えたての歌を口ずさんでいた。 
二人のためのダブルベッドの端に、丸まって眠っているリンの頬に、触れてみる。 
真っ赤になったままの頬は、いつもより体温が高い。 
まだ夢の中で泣き続けているんだろう。 
この歌は、レンが歌うには少し恥ずかしくて、音程が高すぎる。 
けれど、リンが歌えばきっと、すごく・・・すごく、綺麗だろう。 
 
 
 
あなたと私、違っても、いいよね? 
違っても、変わらないよね? 
ずっと、ずっと一緒に居てね? 
 
 
 
恋する乙女の、恥ずかしい歌詞。 
マスターはいったい、誰と誰を想像して、この曲を作ったのだろう。 
口ずさみながら、レンは少しだけ、泣いた。 
 
 
 
 
 
<了> 
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