JUNK WORLD

■文






丸い額の左側には、小指の先ほどの突起が、その反対側には、鋭く尖った牙のような角が生えていた。
知識のない少年にも奇形であることが理解できる、あまりにも不自然なそれは、まるで人間の赤ん坊と同じ声で激しく泣き続けている。

「・・・イズナ、とーちゃんになったのか?」
「阿呆。この赤ん坊と俺と、似た部分がヒトツでもあるかよ」

突然角の生えた赤ん坊を連れてきた顔なじみの妖怪に、少年が首をかしげる。
小さな緑色の妖怪は、猫のような目を半分閉じて、呆れた表情を作って見せた。

「ニンゲンの子を孕んでしまったようでな」

赤ん坊を慣れない手つきであやしていた大きな翼の生えたカラス天狗が、あまりにも要点の足りない説明を寄越してきた。
自称、不器用な性格、は、どうやら会話にも現れるらしい。

「・・・つーことは、威吹の子供でもねーってことか」
「当然だ。自分はまだ所帯を持てる身ではない」

堅苦しい言い回しで放つ言葉とは裏腹に、どうやら赤ん坊をもてあましている様子の翼の生えた妖怪は、先ほどからうろうろと落ち着きがない。

「抱き方がわりーと思うんだけど・・・」

火のついたような泣き声、とはこういうことを言うんだろうなぁ、などとのんびり考えながら、少年は今にも目を回してしまいそうな妖怪の腕から、赤ん坊を抱き上げる。
少年も慣れているはずはないのだが、先ほどの腕の中よりは居心地が安定したのだろう、赤ん坊はぐずりながらもどうにか泣き止んでくれた。

「はぁー、やっぱうしおだなぁー」

軽くゆすってやりながら赤ん坊をあやす少年を見て、小さな妖怪が感心したような声を出す。
その言い回しに、一抹の不安を感じて、少年は眉を寄せた。

「・・・おい、まさか・・・」
「たのむ!この赤ん坊しばらく面倒見てくれ!」
「はぁ!?冗談じゃねーよ!!俺が赤ん坊の世話なんか出来るわけねーだろ!」

小さな緑の手を、ぱんっと額の前で合掌させて妖怪が拝むような仕草をする。
少年は予想的中とばかりに青ざめて叫んだ。

「そこを何とか・・・長もお前しかいないだろうと仰っていたのだ・・・」

見れば山伏の格好をしたカラス天狗まで、両手を合わせてこちらに懇願の視線を向けている。
くらっと目の前が揺た。
崩れ落ちてしまいそうな足を、どうにか理性で立たせる。
両腕の中には、人間でないにしろ、赤ん坊がいるのだ。
倒れるわけには行かない。

「何で俺が・・・こいつのかーちゃんはどうしたんだよ?」
「どうしたって、鬼の女は『角付き』を産んだら死んじまうだろ?」
「・・・・いや、しらねーけど」

少年の問いに、心底不思議そうな顔をして緑の妖怪が答える。
そんな衝撃の発言を、さらっとするあたり、やはり自分たち人間とは何かが違う。

「フツーの『角付き』なら、赤ん坊でも自分で餌獲ったり出来るんだけどよー、コイツ『混ざりモン』だろ?そういう弱っちいところだけ、ニンゲンに似ちまったみたいでさァ。俺らも手ェ焼いてんだ」

平然と並べ立てられる残酷な言葉に、少年は声もなく立ち尽くした。
妖怪の世界の常識など知らないが、彼らにとってはその事柄一つ一つが、ただの事実でしかないのだろう。
そこに、人間らしい情などは存在しない。
もしかしたら彼らの長はそれを見越して、自分の元にこの赤ん坊を運ぶように指示したのかもしれない。
その証拠に、少年には既に、赤ん坊に同情心を抱いてしまっている。

「なぁ頼むよ、うしおー。取り合えずなんか手は打つから、それまでの間、さ」
「長にも何か考えがあるようだ。そんなに長い間、手間は取らせない」

両手を合わせたままの格好で、妖怪たちが都合のいい言葉を並べていく。
手を打つ、とはどういう意味なのか、問い詰めたくなったが、堪えた。
正直、好ましくない返答を受けたとしても、少年が赤ん坊を引き取るわけにもいかない。

「・・・・解かったよ」

泣き疲れた様子で寝息を立て始める赤ん坊を見下ろし、少年は小さく呟いた。
両腕には、赤ん坊の高い体温と、確かな重みが存在している。
目の前でほっと胸をなでおろす妖怪たちの姿に、少年は複雑な思いで押し黙ることしか出来なかった。





寒くないように、苦しくないようにと包んだ毛布の中、すやすやと寝息を立てる奇妙な生き物を見つけて、金色の妖怪は顔をしかめた。
それから、蔑むような目で、じろりとこちらを睨みつけてくる。

「なんだ、これ」

その横柄な態度に、少年はむっとする。
明らかに嫌悪を抱いた妖怪の声音は、昼間、この赤ん坊を自分に押し付けたあれらと、よく似たものがあった。

「見りゃわかんだろ、赤ん坊だよ」
「『混ざりモン』じゃねーか。どこで拾ってきやがったんだよ」

ぶっきらぼうに返せば、さらに強い口調で問い詰められる。
少年は正面から妖怪を睨み上げ、声を荒げた。

「オメーにカンケーねーだろ!なんだよ、今頃のこのこ帰ってきやがって!!」

少年の大声に、妖怪は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにまた不機嫌な顔に戻り、チッと舌打ちする。

「どうせまた、面倒ゴト押し付けられたんだろ」
「しょうがねーだろ、コイツの母ちゃん、死んじまったとか言うし・・・」

少年の大声に驚いたのか、目を覚ました赤ん坊がぐずりだした。
抱き上げようとしゃがみこんだ少年を見て、妖怪が苛立たしげに頭をガリガリと掻き毟った。

「バカが・・・それこそオメーにカンケーねーだろ」

少年の体温を感じ取った瞬間、赤ん坊が助けを求めるように両腕を突き出して泣き出した。
慌てて抱え込むが、激しく泣く赤ん坊は、何かを求めるように小さな両手をばたばたと動かしている。

「何だよ、腹へったのか?眠いのに起しちまったから、怒ってんのかよ?」

赤ん坊をあやすようにゆすりながら、少年が必死に話かける。
その、小さな足を、突然妖怪が掴み上げた。

「な・・・・っ」

片足だけ掴まれ、逆さに吊られた格好で、さらに泣きじゃくる赤ん坊を見て、少年がさっと青ざめる。
赤ん坊を奪い返そうとする少年に向かって、何の感情も篭らない声で、妖怪は一言、言った。

「捨てちまえよ、こんなもん」

その冷たい言葉に、血の気が引いた。
呆然とする少年の目の前で、妖怪の腕が空を切る。
投げ飛ばすつもりだ、と悟るのと同時に、身体が動いていた。

ギャンッ

金属音が狭い室内に響いた。
冷え切った身体と裏腹に、バクバクとはやる心音と、泣きじゃくる子供の高い熱が、痛いと感じた。
床に転がった古ぼけた槍の向こうに、金色の妖怪がたたずんでいる。
今度は腕を切り裂かれ、その表情は不機嫌そうだった。
けれど、いつもとは違う怒りの色がその目の奥に見えて、少年は必死に涙を堪えた。

「なん・・・で、お前らは・・・ッ!」

妖怪に怒りをぶつけようと声を荒げたが、続かなかった。
妖怪は酷く冷めた目で、自分の腕の傷と床に放り出された槍を見比べて、それからようやく少年に向き直る。
何の表情も無いその顔が、冷たく刺さるような目が、恐ろしかった。

「・・・ろくなことになんねーぞ」

さっさと捨てちまえ、静かな声で妖怪はまた繰り返す。
それっきり何も言わない妖怪を、少年はただ睨み付け、唇を噛み締めた。
腕の中で泣きじゃくる赤ん坊は、必死に生きていることを訴えているようだった。





元々、違うことは理解していた。
それでも、理解したいと思った。
少しでも、感情に触れて、分かち合いたいと、愚かなことを願っていた。
赤ん坊を寝かしつけて、少年はふらふらと立ち上がった。
妖怪は多分、いつものように居間に寝転んで、テレビを見ているはずだ。
あの妖怪にとっては、昨晩の諍いも、先ほどの言い合いも、些細なことでしかないのだろう。
けれど、人間である少年には、その程度では済まない。
妖怪の発した言葉は、身体の内側を抉られるような痛みを伴って、腹の奥に重くのしかかってきた。
まざまざと見せ付けられた価値観の違いに、どうすることも出来ない。
階段を下りて、居間の障子を開けば、思ったとおりの場所に妖怪が居た。
やかましい笑い声を垂れ流すテレビをつまらなそうに眺めている妖怪は、部屋に入ってきた少年にもまるで無反応だった。
そのまま居間を横切って、台所に向かう。
薄暗く冷えた台所の床には、無造作に丸められた新聞紙が放置されていた。
恐ろしいと思いながらも捨てられなかったものが、その中にまだ、残されている。
甘い香りを放つそれは、昨晩妖怪が摘んできた桃だった。
放置されたままの桃は、乱暴に放り込まれた衝撃に耐え切れず、変色し始めている。

老いぬ人間は、妖怪と同じ

三日月のようにしなる口が、呟いた言葉。
鋭い視線がたたえた、仄かな期待の色は、少年の願うところと、同じものだったのだろうか。
恐れは感じなかった。
感情は凍りつき、何も浮かんでこなかった。
掴み上げた桃は、冬の空気に冷え切って、それでもなお強い香りを放っていた。

「・・・・おい、」

明かりの付いた居間から、妖怪の声が聞こえた。
振り向けば、いつの間にかこちらを見ていた妖怪と目が合う。

「止めとけ。そんなモン喰っても、腹壊すだけだぞ」

だって、と反論しようとしたが、続きが思いつかなかった。
妖怪はテレビに視線を戻し、静かに言った。

「・・・そんな都合のいいモン、あるわけねーだろ」

手の中から零れ落ちた桃が、床に叩きつけられて潰れた。
一層強くなる甘い香りに酔ってしまったように、くらくらと視界が揺れた。

「何で・・・・」

そんな、嘘を。
問おうとした言葉は音にならず、喉の奥で消えた。
代わりに、涙が頬を滑り落ちて行った。
何が悲しいのか、辛いのか、解からなくなった。
何故泣いているのか、解からなかった。

「とら、」

無意識に名前を呼べば、ゆっくりと振り返る。
電灯の明かりに鈍く光る金色の妖怪は、何の感情も篭らない声で、答えた。

「・・・わしゃぁな、オメーみたいなの、幾人も見てきてんだ」

どうせ、ろくなことにならない。

そのときようやく、あの妖怪の言葉は自分に向けられていたのだと、理解した。

「所詮、妖怪とニンゲンは相容れぬモンなんだよ」





白い翼を携えた、綺麗な妖怪だった。
大きな目をこちらに向け、じっと観察するように、下から上へと何度も視線を往復させている。

「鳥妖、見すぎだぞ」

人間の女によく似た顔をした妖怪は、緑色の妖怪の言葉に少し不機嫌そうに眉を寄せた。

「あの長飛丸さまのそばに居ると聞いたから、どんな人間かと思ったら、ただの貧相な子供じゃない」

高飛車に言って、ぷいっと顔を背ける。
緑の小妖怪は慣れた様子で、やれやれとため息をついていた。
あれからしばらく経って、長の使いという女の妖怪が、緑の妖怪を伴って現れた。
どうやら赤ん坊を引き取りに来たらしい。
妖怪が言うには、この赤ん坊のような『混ざりモノ』が暮らしている集落があり、そこに赤ん坊を連れて行く手はずが整ったとのことだ。
翼のある妖怪が、赤ん坊を抱き上げると、赤ん坊は少し戸惑ったように少年を見た。
少年に助けを求めるように幼い両腕を伸ばして、言葉にならない声で少年を呼んでいる。

「なついちまったもんだなー」

少年と赤ん坊の周りをふわふわと旋回しながら、緑の妖怪が笑う。
少年は複雑な胸中をどう表現していいか解からず、曖昧に笑顔を作ることしか出来なかった。

「・・・なぁ、そいつ・・・どうなるんだ?」

慣れない腕の中で、今にも泣き出しそうな赤ん坊から、目が離せない。
少年は耐え切れずに尋ねた。
返答をもらったところで、どうしようもないということは、頭のどこかで理解していた。

「別に、私たちは何もしないわよ」

赤ん坊を抱く妖怪は、感情の読めない声でそう言った。
けれど赤ん坊を抱くその腕には、確かに慈しむような柔らかい仕草が見て取れる。

「・・・どうせ、なるようにしかならないもの」

大きな目を静かに伏せて、妖怪は言う。
寂しそうなその横顔は、一体何を想っているのか、少年には解からなかった。
妖怪は顔を上げ、まっすぐ少年を見た。

「だから、あんたが気に病む必要は、どこにもないのよ」

表情のない顔と裏腹に、優しい言葉が胸を突いた。
けれど、少年の表情は凍りついたまま動かない。
それで全て解決するほど、この奥に刻み込まれた痛みは、簡単ではなかった。

「じゃぁな、うしお!色々世話んなったな!」

にこやかに笑い、緑の小妖怪が空に浮かび上がる。
その後を負うように、赤ん坊を抱きしめた妖怪も、ゆっくりと翼を広げた。
雲ひとつない青空に、妖怪の白い翼が羽ばたいている。
美しいけれど、異様な姿だと思った。

所詮、妖怪と人間は相容れぬもの。

この後、あの赤ん坊がどんな生涯を送ろうとも、二度と触れ合うことは無いのだろう。
冷たい風がすり抜けてゆき、ふと顔を上げれば、金色の妖怪が屋根の上からこちらを見ていた。
風にそよぐ金色の毛は、キラキラと輝いて美しかった。
けれど、人の世界には、あるはずのないものだ。

きっと、触れてはいけないものだった。
はじめから。





薄暗い部屋の中、静かな息遣いがすぐそばに聞こえた。
カーテンの隙間から入り込んだ月明かりに、金色の毛が輝いている。
肌をすべるくすぐったさに、身をよじるようにして、少年はごろんと寝返りを打った。
すぐ近くにある妖怪の頬に手を当ててみた。
妖怪はしばらくこちらを見下ろしていたが、やがて静かに目を伏せて、少年に手に擦り寄るように頭を動かした。
残った方の手で、反対側の頬を撫でた。
それから優しく抱きしめるように、首に両腕を回した。
慣れた体温が、徐々に冷えた肌を温めていく。

「・・・・お前が、あの桃を食べるかどうか、知りたかった」

いつもの低く落ち着いた声で、妖怪は呟いた。
少年は何も言わず、じっと妖怪の頭を抱いていた。
感触も、声も、体温も、こうして手を伸ばせばすぐに、捉えることが出来る。
けれど、遠い。

遠くて、よく見えない。

「理由は、それだけだ」

古ぼけた天井には、ところどころしみが浮かんでおり、薄暗い室内をいっそう陰気に見せた。
少年は目を閉じて、両腕に力を込める。
妖怪は動かなかった。
ただそのまま、少年の首に鼻を擦り付けるようにして、息を潜めていた。

もう、何も見えない振りをしよう。
聞こえない振りをしよう。

そうしてふたりで、行き着くところまで、行ってしまえばいい。

「とら、」

かすれた声が、酷く穏やかに名前を呼んだ。





墨色の空に、欠けはじめた月が浮かんでいる。














のこと、








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2011/07/31_うしおととら(君のこと、)

フユコミの新刊に考えていたネタでした。
シリアス(むしろ欝?)の方向で、ふたりのことを真剣に考えたらこうなりました。

漫画にしたら、多分立ち直れなくなるんで、文章に回避。
文字を舐めているわけじゃなくて、
絵で表したものが目から飛び込んでくる衝撃と、読んで頭の中で噛み締める衝撃とを比べたら、
文章の方がショックが少ないというだけのことです。あしからず。

赤ん坊に対する表現が酷過ぎるかなーとも思ったんですが、
その辺をオブラートに包んでやんわりと表現するスキルが、私にはありませんでした。
不快に思われた方がいらしたら、すみません。

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