JUNK WORLD

■文




熱い杭が何度も打ちつけられるような感触が、徐々に身体全体を支配していく。
打ち付けられる箇所から侵食してくる痺れは、もう何なのかすらも解からない。
ぼやけた思考の中で、何度も同じ名前を呼び続けた。
それは面白そうに歯もむき出して笑い、もっと呼べと細い腰を煽った。

あぁ、これが、愛情と呼ぶなら。

なんて、苦しい。







雨に、酔う







学校からの帰り道、遠くの空に広がる空気が、重みを増した。
ふと顔を上げ、敏感に雨の気配を感じ取る。
その少年の肩に乗った妖怪は、眼を細めて笑った。

「なんでぇ、ちったァ成長したもんだなァ」

以前は妖怪の気配すら解からなかったくせに、とせせら笑うそれに、少年は鋭い視線を向ける。

「うるせぇな。オメーが毎回そんな顔してりゃ、嫌でも覚えちまうよ」
「はん、ソレこそうるせぇってんだよ」

悪態をつきながらも、どこか楽しそうな声を出して、妖怪が遠くに視線を投げる。
湿った風がその金色の毛を撫でた。

「・・・・なぁ、とら」

遠くを見たままの妖怪に、声をかける。
妖怪は振り向きもせず、返事もしなかったが、いつものことなので、構わず続けた。

「台風来てるんだってよ。天気予報でやってた。だからしばらく、雨、続くかも・・・」

ふわりと妖怪が肩から降りる。
驚いた顔をした少年を、軽々と担ぎ上げると、そのまま空に飛び上がった。
独特の浮遊感。
足のつかないその不安定な感覚にも、もう慣れたものだ。

「さっさと帰るぞ。お前は濡れるといっそう貧相になるからな」

けけけ、と嫌味な笑い方をして、速度を上げた。
身をかがめ、妖怪の毛にしがみついた少年は、腹の中に溜まり始めた感覚に、一つ小さく肩を震わせた。







痛みとも快楽ともつかない感触に、少年は叫ぶしかなかった。
悲鳴は艶を含んで、さらにそれを煽るようで、行為は激しさを増した。
ぼろぼろとこぼれていく涙が、ほとんど像を捕らえることの出来ない視界を、さらに悪くする。
金色の毛が振ってくる。
綺麗だと思った。
鋭い歯で笑う。
地の底から這い上がってくるような、低い笑い声に、背筋が凍った。
もう止めて。
おかしくなってしまう。
いくら叫んでも、懇願は妖怪を昇らせるだけだ。

うしお

呼ぶ声がする。
一瞬だけ冷静になる思考が、覆いかぶさる妖怪を捕らえた。

もっと、呼べ

ぞくぞくと這い上がってくるコレは、何だ。
何でこんなことをしている。
喉は痛くて裂けそうだ。
上手く喋ることも、出来そうにない。

もっと、寄越せ

全部持って行っただろう。
全部支配しただろう。
これ以上、何を奪い取ろうというのだ。

―――――とら、

絞り出した声が、ようやく言葉になった。
最奥に放たれた熱に、頭の中身まで蹂躙された気分になった。







ざぁっと一斉に雨粒が落ちてくる。
地面に叩きつけられ、微かに跳ねて、他の粒に混じって解からなくなる。
縁側に大きな猫よろしく座り込んだ妖怪は、さっきから何が楽しいのか、雨粒をじと眺め続けていた。
ぴくぴくと長い耳が動いている。
楽しいときの癖だ。
今にでも飛び出していきたくて仕方ないのだろう。
この妖怪は、雨と雷に目がない。
少年は耐え切れず、洗っていた食器をそのままにして妖怪の隣に腰を下ろした。
ちょこんと座る小さな少年の顔を一瞬見て、妖怪はさも面倒臭そうに何だよ、と呟く。

「何か、どっか行っちまいそうだったから・・・・」

少年の言葉は、いちいち理解に苦しむ。
妖怪はわざとらしいため息を付いて、少年を追い払うような仕草をした。
少年は少し不機嫌そうに顔をしかめたが、そこに座ったままじっと動かなかった。

「うしお、」
「なぁ、お前、雨好きだよな」

不快感をあらわにする妖怪の声に、少年の声が重なった。
妖怪はつまらなそうにまた空に視線を戻し、ソレがどうした、とでも言いたげに舌打ちをする。
その背に、少年の温度を感じ取ったのは、妖怪にも不意打ち過ぎて、一瞬反応に困ってしまった。
それでも、動揺したことなど悟られるわけに行かないので、至極平静を装って振り返る。

「何してんだ、ガキが」

不機嫌な顔を再び形成して、威嚇する。
少年はゆっくりと妖怪を見上げた。
大きな目は何を考えているのか、すぐに解かった。

「・・・・・・おめぇなぁ・・・」

呆れ返ったような声を出す妖怪に、予想外に少年は笑った。
自嘲するような笑い声だった。

「雨が降ると、楽しそうな顔をする、・・・お前を見てると、たまんなくなる」

それから、苦しそうに目を伏せる。
喉元を両手で包むようにして、何かを吐き出そうと、少年は喘いだ。
苦しいのか、問いそうになって、妖怪はあわてて言葉を飲む。
人間如きが苦しもうと泣こうと、何の関係がある。
ふん、と鼻を鳴らして顔を背けた。
少年の体温が、移動する。

「とら、・・・お前、さ」

囁くような、声。
細いその声音に、じわじわと残虐心が煽られる。

「食い殺されてぇのか」

耐え切れず少年の腕を掴んだ。
少年は驚いたような顔をしたが、抵抗することなく、妖怪にされるがまま、床に叩きつけられた。

「オレじゃなくても、よかったんだろ?」

じっとこちらを見上げてくる両目が、言った。
射抜くように鋭い声と視線が、瞬間、痛いと感じた。

「何のことだ」
「・・・・・・何でもねぇよ」

ふっと力を抜いて、少年は妖怪の頬を撫でた。
慣れた手つきだ。
慣らしたのは己自身だということも忘れて、妖怪は不快そうに顔をゆがめた。
目を細めて笑う子供の顔は、既に子供のソレではなく、妖怪はずぶずぶと沼に引き込まれていくような嫌な感覚を味わう。
抗えばいいだけのことだ。
振り払って悪態の一つでもついてしまえば、話は終いだ。

「とら」

それなのに目を離せないのは、きっと、この雨の所為だ。







いつだったか、大雨の降った日。
いきなり妖怪に襲われた。
痛みと恐怖で混乱して、泣き叫ぶことしか出来なかった。
何度呼んでも妖怪は笑うだけで、さらに楽しそうに細い身体を甚振った。
理解できなかった。
殺意がないことは解かった。
だから、無理やり槍で払い除けることも出来なかった。

うしお

熱に浮かされたような声で呼ばれて、あの時、愚かな感情を持った。
思い出すたび滑稽だと思う。
きっとあの時、妖怪には他に選択肢がなかっただけで。
あの時、違う人間がそばに居れば、きっと。

「うしお」

ようやく雨の気配が薄らいだ。
さらさらと肌をくすぐる金色の毛が、視界の端で輝いている。

「おい、いい加減起きろ」

本当はもうとっくに目覚めていることなど、妖怪が知らないはずがない。
それでも少年は、じっと寝たふりを続けた。
ゆっくりと滑っていく毛の感触がくすぐったい。
妖怪の息遣いが、さらに近くなった。

「このまま、食い殺してやろうか」

低く囁く声は、艶を含んで甘く、脳を痺れさせた。
それでもいいかもしれない。
瞬間思った自虐的な思考を、どうにか振り払って、少年は観念したように目を開けた。

「さっさと身体洗って来いよ」

可愛らしく見上げることも出来なければ、優しい言葉をかけることも出来ない。
お互い様だが、どちらともなく嫌な表情を浮かべてしまったのは、やはり思考が似通っているのだろうか。
期待するだけ損だ。
ため息をつきながら立ち上がると、カーテンの隙間から夜風が吹き込んできた。
それはじっとりと湿気を含んで、未だに雨の気配を十分に孕んでいた。

妖怪の視線が、そちらに吸い込まれていく。
ふと鋭いものが消えた、静かな表情。
癒されたような、恍惚としたような。

しとしとと、か細い雨音が聞こえてくる。
ようやく上がったと思った雨が、また降り出した。

金色の妖怪は、雨に酔う。







そしてオレは、雨に狂う。






2010/09/05_うしおととら(雨に、酔う)

出来うる限りニュアンスだけで書いてみました。
やってしまった感がぬぐえません。
その辺の場面は、想像力を駆使してお読みいただければ幸いです。
うしおの独占欲的な何かを書きたかったのですが・・・
なんか暗いなァ。バカップルが好きなのに・・・!

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