JUNK WORLD

■文


ぽろぽろと、本当に綺麗な水が、
伝うしずくが、あまりに美しかったから。
それは何かと、気になった。






興味本位






尋ねると少女は恥ずかしそうに顔をぬぐい、いつもの朗らかな顔で笑う。
そしてそれを差し出して、とっても素敵なオハナシだから、と手に乗せた。

「うしお」

少女に持たされた『ショーセツ』とやらを読破して、妖怪は腹の中に溜まった不快感を声に乗せた。
すると狭い部屋の窓際に陣取って、とんでもなくヘタクソな絵を描いていた少年が、小さな頭をこちらに向ける。
首をかしげて続きを促す。
大きな透明な目が、少し癇に障ったから、からかうつもりで、一言。

「愛してる」

呟くと、まぶたから零れ落ちてしまいそうなほど、目を見開いて、動きを止める。
その目に、徐々に広がっていく期待のようなものが、なんだか腹立たしい。
妖怪は少年が馬鹿なことを口走る前に、言葉を続けた。

「・・・って、何だ」
「ん゛ん?」

一気に表情を曇らせて、少年が妙な声を出す。
物凄くがっかりした顔が、莫迦め、と思うと同時に少し気分を回復させた。
このニンゲンは、自分の一挙移動に反応しすぎなきらいがある。
それは大半鬱陶しかったが、たまに面白いと感じることがあった。
ふくれっ面をぶら下げて、少年が睨みつけてくる。
妖怪は手元の紙の束を示し、理解力の乏しい少年に説明してやった。

「ここに書いてある。言葉は理解できるが、さっぱり意味が解らねぇ」

『ショーセツ』を見せてやると、少年は意外そうにこちらとそれを見比べている。
面倒に思いながらも、『マユコ』と例の少女をさす単語を口にすると、やはり少年は更に不機嫌な顔になった。

「お前、井上の言うことには素直だよなァ」

うるさい、と聞き流すと、少年は今さっき寄って来たばかりだというのに、また窓際に帰ろうとする。

「そんなモン中ボーが知るかよ、それ読みゃわかんだろ」

よく理由は解からないが、無意識に口が、少年を引き止めるように言葉を吐いた。

「解からん、三回読んだがさっぱり解からん」

事実、三度は読んだ。
読んだが全く理解できなかった。
何が素敵なオハナシだ。
男と女がくだらないことをして、男が死んで、だからなんだ。
憤然としていると、律儀だな、などととぼけた反応をよこしながら、少年がまた自分の前に腰を下ろした。
大きな目が、こちらを見上げてくる。
少女のあの、キラキラした瞳とはまた違う輝きを宿した、深い色の瞳。
妖怪は案外、あれもこれも嫌いではなかった。
よぅく目を凝らして覗き込めば、金色の自分がその中に映っているのが見える。
少女もそうだが、少年の目はとりわけ濃く、その像を反射した。

「そんなモン、俺に聞くのが間違いだろーが」

気まずそうに眉を寄せて、なぜだか少年は顔を赤くする。
妖怪はよく意味が解からず、とりあえずその言葉を聞き流すことにした。
少年の言葉はたまに意味を持って杭を打ち込むが、おおよそ聞き流しても、さして支障のないもので構成されていた。

手の中の薄い紙をぺらぺらとめくりながら、妖怪は少し昔のことを思い出した。
この腹の中に溜まった不快感は、まさしくその所為だろうが、認めるわけにはいかない。
ニンゲン如きが紡いだものを、いつまでも浅ましくこの中に刻んでいるなど。
そしてそれを、未だに理解できていないなど、妖怪の高すぎるプライドが許さない。
苛々したまま、手の中の物を放り投げた。
すると目の前に座っていた少年が、あわてた様子でそれを拾いに走る。
こちらを向いて何か声を荒げているが、聞く気にもなれない。

ごろんと横になって、片方の腕で頭を支えると、横転した部屋の中に、細くて小さな少年が居て、妖怪をじっと見つめていた。
忌々しい槍を持った、癇に障るその少年は、いつもこちらを見ている。
離れれば必死に追いかけてきて、悪さするななどと言い訳をして、妖怪から離れまいとする。
その小さな頭を掴んで、すこうし力を込めてやるだけで、簡単にこいつは死ぬだろう。
そう、あの『ショーセツ』の男のように。

愛しているか、

ポツリと声が聞こえた気がした。
耳がぴくりと動いた。
この耳は、どうにも敏感すぎてよくない。
誰にも聞こえないように舌打ちをする。
苛々と温度を上げていく脳は、忌々しいものを、どろりと呼び寄せた。

愛しているか、

すがりつき、赤い唇で言った女。
ほんの興味本位で、囲った女。

正直、どうかしていたと思う。
妖怪には、ニンゲンの男に化けて、ニンゲンの振りをしていた時期がある。
なぜそうしたかと訊かれても、たいした理由はない。
ただ、気の赴くまま目に付く大半を焼き尽くしたあと、有り余る時間をどうしたらよいかと考えていたとき、気まぐれに思いついた。
自分を恐れ畏怖し、時に神と崇める愚かな動物。
それの時間を見たくなった。
目に付いた屋敷のニンゲンを皆殺しにし、主に化けて、新しく使用人とやらを雇った。
女は、そんな中に居た。
強い力を目に宿した女は、妖怪の正体に一目で気付いたらしい。

狭い部屋に取り付けられた質素な窓から、ふわりと風が吹き込んで、妖怪の金色の髪を揺らした。
思い返しながら、じっと少年の横顔を眺める。
先ほどからずっと、拾った本を無意味にいじりながら、少年は真っ赤な顔をして、必死に何かをこちらに気取られないように息を殺していた。

愛しているか、

人でないと知りつつも、女はそばを離れようとしなかった。
妖怪の一挙一動に面白いほど反応して、嬉しそうに、それは幸せそうに笑うのだ。
妖怪はそんな女を、呆れ果てた目で見ながらも、少し面白いと感じていた。
けれど、

「しかし、今時の『ショーセツ』ってーのは読みづれぇな」

奥の奥に沈めた情景が浮かび上がってくるのを、打ち消そうとして、妖怪は吐き捨てた。
ぱっと少年が顔を上げる。
大きな深い瞳が、記憶の中で渦を巻いた。

私が死ねば、きっと思い知る、

その訴えは、願いというより、既に呪いだったように思う。
だから今も、忌々しくこびりついて離れない。

「わしが思うに、」

・・・いや、あの女が言うには、

「愛情というものは、その対象が絶えたとき、よりいっそう強く感じるものらしい」

少年が不安そうな顔をした。
理解できていないのだろう。
はじめから期待していない。
ゆっくりと、妖怪は続ける。
この少年の反応が知りたかった。

「ためしにお前を殺せば、・・・あるいは理解できるかも知れネェ」

口の端を吊り上げて、挑発するように笑ってやる。
少年はしばらくするとまた目を見開いて、信じられないものを見るような顔をした。
それから一気に、顔を赤くする。
思わず、真顔になりかけた。
予想外だ。
予想外すぎて、次に考えていたことが吹っ飛んだ。
そのまま少年を捕って喰おうかと魂胆をめぐらせていた妖怪は、あまりに間の抜けた少年の反応に、正直毒気を抜かれ唖然とする。
頭を支えていた腕から、思わずずれ落ちそうになりながら、しかし動揺を知られるわけにはいかないので、口を笑いの形にゆがめたまま、少年を見た。
少年はなぜだか泣きそうな顔で笑いながら、かすれた声で、やめておけと応戦してきた。

「死んじまった奴には二度と、言えなくなるんだぞ」

すとん、と何かが落ちた。
なるほど、と思った。

自ら喉を斬って目の前で息絶えた女に感じた、重くのしかかるような嫌悪。
問うていながら、その答えを拒んだ。
拒んで逃げた。
妖怪にとってそれは、到底理解の出来ない、果てしなく浅ましく卑怯なやり方だった。
口元に笑いがこみ上げた。
大声で笑ってやろうかとも思ったが、目の前の顔が、あまりにも真剣だったので、堪えてやる。
その代わり畳みに額をつけて、長い髪で顔を隠しながら、笑い声を押し殺した。

「は、ガキが。生意気言いやがる」

真っ赤な顔をして、まっすぐに妖怪を映す、深い両の目には、何か理由は解からないがうっすらと涙がにじんでいる。
少女の頬を滑り落ちたあれも、音を奪うほどに美しかったが、この色も悪くない。

ぱたん、と手にしていた『ショーセツ』を床に閉じて、少年が部屋を出て行く。
その重みのない足音に、意識を凝らしながら、目を閉じた暗闇の中、
望むのなら、もう少し一緒に居てやってもいい、などと死んでも口に出せないようなことを考えた。





2010/05/23_うしおととら(興味本位)

同日追加のテキスト「あいしてる」のとら視点。
文章はこういう遊びが出来るから楽しいですね。
・・・まぁ頑張れば、漫画でも出来るんだろうけれど・・・も。

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