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それは衝動的、に 
 
 
 
 
くちづけ 
 
 
 
 
 
重なった体温にぱちり、妖怪が瞬いた。 
ほとんど無意識だったが、思わずそんな行動に出た瞬間、しまったと身を引いた少年は、目の前の妖怪の反応に、正直戸惑った。 
何か口汚くののしって、悪ければ拳の一つでも飛んでくると思ったのだが。 
いつもの大きな猫のごとくしゃがみこんだ金色の妖怪より、少し高い位置から、少年はそのあとの言葉を待った。 
いくらなんでも、なかった事にしやしないだろう。 
だが、妖怪を見下ろす少年の耳に届いたのは、予想を遥かに反れた言葉だった。 
 
「・・・・なんだ、いまの」 
 
馬鹿にするわけでもおちょくるわけでもなく、単なる質問。 
本当に不思議そうな声音に、少年の方が混乱する。 
 
「何って、キス・・・だろ?」 
 
きす、と自らの言葉で行動を説明した途端、信じられないほど心臓が早くなった。 
一瞬で大気が熱されたような感覚が体を包む。 
きっと自分は今、恐ろしく情けない顔をしてる。 
朱に染まった頬を隠すように、少年は両腕で顔を隠し、しゃがみこんだ。 
なんて馬鹿な、浅はかな事を、と今更嘆いても仕方がない。 
自分の唇には未だに、想像したよりずっと柔らかかったアレの感触が残っている。 
 
「それは、何だ」 
 
綺麗な金色の毛がさらりと揺れて、妖怪が首をかしげた事が知れる。 
少年は真っ赤にした顔を、少し呆気に取られた表情に変えて、金色の妖怪を見上げた。 
 
「・・・・しらねぇの?・・・あぁ、キス、じゃ今の言葉だもんな。じゃぁ何て言えばいいんだ?」 
 
くちづけ?と呟いて、更に恥ずかしさが増した。 
妖怪はますます解からないと言った風に、口をへの字にまげて見せた。 
 
「・・・何お前、ホントにしらねーの?」 
 
この言葉の意味を?この行動の意味を? 
少年が呆れたように眉を寄せると、妖怪は不機嫌のきわみ、と言った表情を浮かべて、ぷいっとそっぽを向いてしまった。 
 
「知ってらぁ馬鹿にすんな」 
 
その口調があまりにも子供じみていて、思わず噴出しそうになる。 
だがそのあとに続いた言葉を耳にした途端、少年の顔は引きつった。 
 
「ちぃとばかし前に、ナガレにも同じことをされたなぁ」 
 
あの時は、とにかく不快だったから何とも問わず殴り飛ばしたやったが、などと言う科白が、いかに少年を不快にさせるかも知らず、妖怪は笑う。 
膨れた顔になる少年に、妖怪はますます、わけの解からないものを見るような視線を向けてきた。 
 
「何だお前、そのツラは」 
 
少し、不機嫌そうな声。 
低いその問いかけに、少年は立ち上がった。 
またもとの位置から、少しだけ下にある妖怪の顔を覗き込んだ。 
それから、もう一度、 
 
「やめろ」 
 
唇を重ねようとすると、妖怪の長い指がさえぎるように伸びた。 
その行動に、傷つく前に綺麗だと思ってしまった自分は、相当いかれている。 
首をひねって顔を遠ざける。 
けれども視線だけはこちらを向いて、さながら流し目のようなそれは、なんとも言えない艶がある。 
妖怪の色も感触も動きも声も、全てが美しく妖艶だ。 
 
「何だよ、嫌なのか」 
 
頬の横に流れる金色の毛を一房つかんで、少年が言う。 
妖怪は困ったように、少し言いよどんだ。 
全く、この妖怪は、これらの一連の仕草を、全て自覚なしにやっているから手に負えない。 
これが女だったら、世界中の男が目の色を変えて群がるだろう。 
いや、そんな狂った目をコレに向けている大馬鹿者は、自分だけかもしれないけれど。 
 
「うしお」 
 
答えの代わりに、妖怪が呼んだ。 
少しかれた低音。 
少年は首をかしげて、続きを促す。 
 
「おめぇ、なんか変だぞ?」 
 
そんな事は今更だろう、と出かかった言葉を飲み込む。 
肯定してしまえば、更に深みにはまってしまう自覚があった。 
 
「とら」 
 
いつか己で名づけた、妖怪の名前を呼ぶ。 
妖怪は応えるようにかすかに目を細めた。 
ざわりと背筋を走るものの正体は、知れない。 
いや、知ってはいるが、知ってはいけない。 
自覚してしまえばもう、取り返しがつかなくなる。 
 
「本当におかしなガキだな」 
 
妖怪の大きな手が、こちらに伸びる。 
最悪の場合、死ぬ手前まで殴られそうな状況ではあるが、どうやら気分を害したわけではないようで、 
節くれ立ったオトコクサイ指とは思えない流麗な動きで、頬を撫でられる。 
その瞬間、少年の中でぷつりと何かが切れた。 
妖怪の肩に額を押し付けて、いまだ鳴り止まない心音に目がくらみそうになりながら、息をついた。 
妖怪がくくと喉で笑うのが解かる。 
さらさらと滑り落ちてゆく毛の感触が、くすぐったい。 
 
「ナガレのは気色悪かったが――――」 
 
おめぇのはくすぐってぇな、うしお。 
そんなことを言いながら、どうやら機嫌のいい妖怪の熱を頬に受ける。 
いつもより格段に熱いそれは、多分妖怪の所為ではなく、自分の上気した頬の所為。 
金色の毛に埋まる足先に、ぼんやりと目をやった。 
そのさまに、いつの間にか絡めたられた、足も心も、もはや後戻りは不可能だと、悟る。 
 
どうせ戻るつもりも、ないけれど。 
 
「・・・意味、教えてやるよ。今度、」 
 
決定的に、我慢が出来なくなったなら。 
 
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