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二年前・保健室の先生と幼馴染 
 
問い1、以下の状況に陥った場合の、解決法を模索せよ。 
 
 
 
 
 
 
この春から、私立丑寅学園の保健室の養護教諭になった一鬼は、今日も朝っぱらから、重たいため息を吐き出した。 
 
保健室の先生、と言えば、優しくて美人で、ちょっと色っぽいお姉さん、というのが世の定石であるらしい。 
はっきり言おう。 
そんなことは知っている。 
自分だって、恋に恋する思春期を経験してきた、男だ。 
そんな甘すぎる妄想など、何度も思い描いてきた。 
 
だからってこの扱いは何なんだ・・・! 
 
本日。 
朝一番で、体調不良を訴えた生徒が、救急車で運ばれる騒動があった。 
病院に連絡を取ったところ、単なる寝不足による貧血とのことだったのだが、その事実を、保健室の先生である一鬼は、後から知った。 
救急車のサイレンが、やたらに近いな、と思って窓からグラウンドを覗いたら、知らない間にソウイウコトになっていた。 
 
何故だ。 
 
遠くから、その事態をただ傍観するしかなかった一鬼は、一人、保健室で唖然としていた。 
何故あの男子生徒は、倒れるほど具合が悪いにも拘らず、保健室に休養を取りに来なかったのか。 
理由は聞くまでもない。 
 
一鬼が怖いからだ。 
 
「ったく、毎日毎日辛気くせえな、テメーは」 
 
デスクに頬杖をつき、またもやため息を吐き出す一鬼に、聞きなれた声がかかる。 
生徒でありながら、目上の存在である教諭に、タメ口ならまだしも、それ以下の言葉遣いをする男子生徒の名前は、とら。 
実家の近所に住んでいた、幼馴染の子供である。 
何の因果か、彼も、自分の勤め先である私立高校に生徒として在籍していた。正に腐れ縁という奴だ。 
新任の挨拶で、思いっきりブーイングを飛ばされて意気消沈していたところで、新入生の中に、やたらと目立つこの子供を見つけたときは、どんな冗談かと思った。 
正直、早々に辞表を出したくなった。 
 
「うるせえぞ。用もねえのに来んなって、何遍言や解かんだ、お前は」 
 
許しもなく、早速ベッドを占領して、寝に入ろうとしているとらの頭を捕まえる。 
乱暴に押さえつけてくる一鬼に、とらが心底迷惑そうな目を向けてきた。 
 
「保健室は具合の悪ぃ生徒が休憩する場所じゃなかったかよ」 
「お前は今、正しいことを言った。健康な奴に貸してやるベッドはねえ!!」 
 
よく通る声で怒鳴り、とらの頭をベッドから叩き落す。 
教育委員会にでも訴えられれば、体罰として問題になるだろう乱暴な扱いにも、とらは慣れたものだ。 
一鬼の手に乱された長い金髪をかき上げ、チ、と舌を打つ。 
 
「何だっつーんだよ、感じ悪ぃ・・・」 
 
叩き落された床に、そのまま胡坐をかいて、悪態をつくとら。 
一鬼は再びデスクに戻って、とらを睨みつけた。 
 
「教室戻れ」 
「―――ハッ、何でテメーに命令されにゃならんのよ、えっらそーに!」 
「・・・・お前なあ・・・」 
 
およそ、自分の立場を理解していないとらの発言に、またため息が出る。 
子供の頃はあんなにかわいかったのに。と、お決まりの台詞が脳裏を過ぎったが、最後の意地で口には出さなかった。 
一鬼はデスクに頬杖をつき、床に座ったまま不機嫌そうな顔をしているとらを眺める。 
 
子供の頃から、そこそこ頭の出来が良く、運動神経も悪くないこの幼馴染は、非常に残念なことに、友達がいなかった。 
友達が居ない、と言うよりは、人との付き合い方を知らない、と言ったほうが良いだろうか。 
常に他人より、ほんの少し抜きに出ていた少年は、いつも大人の間で比較の対象に使われては、その子供達から反感を買って生きてきた。 
何も悪いことなどしていない。 
それは誰の目から見ても明らかだ。 
 
しかし、そこで卑屈にならないところが、この生徒の悪いところである。 
 
少しくらい傷付いたり、悲しむ素振りを見せれば、まだかわいげがあるものを。 
少年は周囲から向けられる敵意に、真っ向から立ち向かったのだ。 
それはもう、容赦なく。 
クラスのテストで比較されて逆恨みされれば、全国模試で一桁の順位を取り、体育で比較されて逆恨みされれば、インターハイの公式記録を上回る結果をはじき出し、暴力で向かわれれば、言わずもがな。 
そうこうしている内に、少年の周りには、誰一人、彼と張り合おうとする人間がいなくなった。 
そして、更に事態の悪いことに、とらは顔が良かった。背も高い。細い割りに、筋肉もついているので、スタイルも良い。 
当然、そんな目立つとらを、周囲の女子が放っておくはずがない。 
少し不良っぽいところが素敵!と頭のねじの飛んだ女生徒から絶大な人気を博したとらは、その方面でもまた、重ねて反感を買った。もう、完全孤立状態である。 
 
とどめは、このひねくれた性格だ。 
 
今までの過程を思えば、それなりに理解できなくもないが、それにしても、どこをどうしたらここまで性格を捩らせることが出来るのか。 
負けず嫌いの天邪鬼もここまで来れば、立派な長所である。いや、まるっきり誇れたことではないのだが。 
 
「まだダチできねーのか、お前。友達の一人も作らずに、このまま卒業するつもりか?」 
「くだらねえ。偉そうに説教たれてんじゃねーよ」 
 
フン、と不遜に鼻を鳴らしたとらが、そっぽを向く。 
一鬼は、またこぼれそうになるため息をどうにか飲み込んで、最後の手段を講じることにした。 
白衣のポケットに入れて置いた携帯を取り出すと、短縮ボタンを押す。 
相手は、ワンコールで電話に出た。 
 
『どうした、一鬼。緊急事態か?』 
「・・・・いや、緊急というほどでもねーが・・・」 
 
電話口の相手は、とらのクラス担任の雷信である。この生真面目な教師は、一鬼の大学時代の先輩でもある。 
ワンコールで出たと言うことは、都合よく、授業のない時間だったらしい。 
最終手段である雷信への電話が通じなかった場合は、面倒なので見逃してやろうと思っていたが、通じてしまったのだから仕方がない。 
 
「オメーんとこのとらがな、具合悪ぃーっつって、倒れたぞ」 
『えッ!?』 
 
さらっと先輩を騙す一鬼に短く叫んだ雷信は、その直後、一方的に通話を切った。 
切れた携帯を再びポケットに戻して、そこで物凄く嫌な顔をしているとらに目を向けた。 
とらは、一鬼の口元に浮かんだ意地の悪い笑みを見て、眉間のしわを深くする。 
 
「あと三分もすりゃお迎えが来るだろーよ」 
「教師の癖に・・・・」 
「嘘吐いてんのは、テメーも同じだろ」 
 
一鬼が指摘すると、とらがチッと舌打ちをする。 
そうして窓の外に視線を投げたとらは、ひとつ、つまらなそうに息を吐いた。 
 
その瞬間、表情からも、険しさが消える。 
 
特に何の表情も浮かべずに、ぼんやりと窓の外を眺めていたとらは、やがてふらりと立ち上がった。 
学校の中でも孤立するとらに対する、雷信の過保護ぶりは、既に周知の事実だ。 
それでも、贔屓だ何だと問題にならないのは、ひとえに雷信の人柄のよさなのだろう。 
一部の地域では、何だかとても聞くに堪えない間柄になっているようだが、それは本人達の耳に入れることでもない。 
 
「よけーなことしやがって」 
「せいぜい、捕まらねーことを祈っておいてやるよ」 
 
保健室を出て行くとらに、口の端を上げて見せる一鬼。 
とらはまた不機嫌な顔に戻って、一鬼を睨みつけた。 
苛立たしげに視線を尖らせたとらは、しかし、特に何も言わずに、保健室を出て行った。 
ぺたぺたと、だらしなく上履きを履き潰したとらの足音が、遠ざかっていく。 
 
口に出しこそしないが、とら自身も今の生活をよく思っていないだろうことは、何となく解かる。 
元々頭のいい子だ。 
きっと、自ら出口を模索すれば、すぐに方向が見えるだろう。 
きっかけさえあればいい。それはそんなに、難しいことではない。 
 
今となっては、もうほとんど見かけなくなったとらの笑顔を、遠い記憶を探るようにして思い浮かべていた一つ鬼は、ハッと我に返り、 
人の心配なんかしてる場合じゃねーだろ!と、泣き出したい思いで頭を抱えた。 
 
この春から、保健室の養護教諭として勤め始めて、二ヶ月半。 
 
 
 
 
 
 
未だにこの保健室には、顔見知りの幼馴染しか訪れていない。 
 
 
 
 
 
 
 
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